番組宣伝
ドラマ以外の映像というのも、貴重なものだと思います。
◇パート1
昼間の時間帯に、生放送(!)での番宣があったらしいです。
◇パート2
1985年4月2日(火)の夜、TBS開局30周年の特番『30周年だョ!全員集合』の中で、新番組の紹介があったようです。
総合司会は、明石家さんま・斉藤慶子。
番組自体は赤坂での3時間生放送でしたが、『うちの子』のシーンは、緑山スタジオでの教室セットの映像で、生だったのかどうかは不明です。時間にすると数分の番宣でした。
第1話の10日前という事で、すでに第1話などは撮り終えているはずで、生徒の服装などから察すると第3話の収録だったようでした。
教室の席順はほぼ通常通りでしたが、森原紀子が不在で、代わりに朋子が紀子の席に着いていました。目立つ席だけに、これだけでも違和感ある感じでした。
森尾由美さんの紹介から、何と小坂先生が5年3組の教壇に(!)
まずは、教室の後に授業参観な格好で立つ、石橋・荒牧・矢野先生を、「石橋先生役の、田村正和さーん!」といった感じで、ひとりづつ紹介を。
田村さんのリアクションは、やはり「石橋先生」とは違う感じで、静かな笑みを浮かべる渋いものでした。
対して所さんは小坂先生のテンションとほとんど変わりなく、とんとん拍子な司会ぶりを。
そして、「今日のテーマは、『男がいいか?女がいいか?』」という事で、生徒たちへ、「意見のある方!」。
すると皆が即座に、「はい!」と元気良く挙手。
これが4回ありました。
当たったのは、中浦・絵里・手塚・川井の4人。
中浦は「立ちションできるから」、手塚は「子供を産む時痛くないから」、川井は「女はカワイイというだけで何でも許されるから」との事で、男を支持。
絵里は、「どっちも嫌です」と、中立の意見を。それぞれに、所さんの軽妙なツッコミが。
そこへ突然、とんねるずの乱入!
鞭を持った貴明が、「ムチの子にかぎって」、大きな鍵をぶら下げた憲武が、「うちの子にカギっ子」などのギャグに、所さんものけぞり返るほど。
さらには大きな作り物の切手を見せ、生徒たちが「うちの子に小切手」と声を揃えて答えたりも。
終いには田村さんにもギャグをかまし、田村さんも思わず苦笑でした。
◇スペシャル1
たぶんあったのだとは思いますが…?詳細不明です。
◇スペシャル2
本放送を5日後に控えた1987年3月27日(金)、16:00〜18:00にスペシャル1の再放送があり、その最後の10分ぐらいに放送されました。
この日は、20:00〜『風雲!たけし城』、21:00〜『パパはニュースキャスター』の最終回を迎える日でもあり、西尾さんと鈴木さんがキャスターとして登場。
そのバックには、鏡竜太郎風な田村さんの顔パネルが大きくセットされていました。
そして間もなく、「今日は素敵なゲストちゃんをお呼びしているんですねぇ〜」で、『ザ・ベストテン』のセットで使われるミラーゲートから、まず和美が「山下亜紀で〜す!皆見てる!?」と登場、続いて居作がマジックをしながら?登場、その後に岡田が「所さんだよぉ〜」などと元気良く行進、最後に羽田が「みんなのアイドル!」と自分の名前パネルを持ちながら登場。
スペシャル2での「男女6人」が揃った所で、うちの子の「迷場面」シーンを皆で愉快に鑑賞しました。
そして最後に、スペシャル2の予告がありました。
(この映像は、スペシャル1が収録されている市販ビデオの最後に、映像特典として収録されています)
番組誕生の経緯
--- 1983年 ---
- TBSの八木康夫プロデューサーと、主ににっかつ映画を手掛けていた脚本家・伴 一彦さんが、初顔合わせ。
伴さんの脚本した映画に出演していた、俳優・吉原正皓さん(のちのパート2で、高丘の父親役)の紹介によるものだったそうです。
この時点ですでに、八木Pが1年後の金曜夜8時枠をプロデュースする事は決定していたらしく、その中で伴さんの作品を使う約束に。
--- 1984年 ---
- 3/11
「新鋭ドラマシリーズ」にて、単発ドラマ『わが子はアイスキャンデー』オンエア。
(プロデュース・八木康夫、演出・松田幸雄、原作・赤川次郎、脚本・福岡秀広)
この好評を受けて、連続ドラマ『うちの子にかぎって…』の企画がスタート。
当初、伴さんの脚本担当は学級新聞騒動を描いた第1話のみで、他の回は複数の有名脚本家による競作の予定だったそうです。
ただ実際、有名脚本家のプロットと比較したところ、伴さんの作品の方が優ると判断され、結局は全話を担当するに至ったらしいです。
いかに伴さんの作品が光っていたかが窺われるエピソードですが、
当時のテレビ界では無名に等しかったはずの伴さんの作品を採用した、八木Pの英断もさすが!
伴さんにとっては一躍、大出世作に!
この時点では、まだ主演俳優は決まっておらず、コメディな役者を想定していたらしいです。
- 4/6〜6/11
金曜ドラマ『くれない族の反乱』オンエア。(プロデュース 大山勝美・八木康夫)
田村正和さんと八木Pが、初顔合わせ。
その最終回の撮影現場で、田村さんと息子の離別シーンを見た八木Pは、泣くほどまで感銘を受けたそうです。
そして、田村正和と子供を組み合わせたらすごくいいのでは…と、『わが子はアイスキャンデー』のビデオを持って、「こういう物を創ろうとしているんですけど、どうですか?」と出演を依頼。
そのドラマを田村さんはオンエアの際にすでに見ていて、
「面白いドラマだなぁ。若いの(スタッフ)はこういうの作るんだぁ」と思って見ていたそうで、
「それ見たよ。すごい面白かったよ」で、「やろうやろう」という事になったようです。
「決してヒーロー役ではなく、情けない先生役ですよ」とも、八木Pは念を入れて確認したそうですが、
それでも全然抵抗も無く自分でやりたいと思ってやったそうで、果たして先生役は、何とコメディドラマ初挑戦となる、田村正和に決定!
田村さんにとっても、役者人生の中での新境地を開く作品に。
- 4/20〜7/13
金曜夜8時枠で、『家族ゲームU』オンエア。
2クールの予定が、視聴率が芳しくなく、7月で打ち切りに。
そのため、急遽その枠を埋めるための、新ドラマが制作される事に。
- 6月?
急遽、枠を埋めるためのドラマという事もあり、新ドラマのプロデューサーは、まだ若手だった八木Pに白羽の矢が立った、という事でもあったようです。
「緊急事態だから内容は全て任せる」と言われていたそうで、
それが故に、やりたい放題、自由な発想のドラマが誕生へ。
もし最初から決まっていた枠だったら、ここまで自由奔放なドラマは作れなかったかもしれません。
- 6月?
子役オーディションなど。3次オーディションまでもあったらしく、「100万円あったら何に使う?」などの質問もあったらしいです。
- 7/?
クランクイン。最初の撮影はスタジオではなく、井の頭公園での動物園の課外授業シーンだったらしいです。
撮影順序は、1・5・4・2・3話の順だったらしく、番組が始まって以降、6話・最終話の撮影があったみたいです。
田村さん、森下愛子さん共、他に掛け持ち出演のドラマがあり、多忙の中での撮影だったようです。
特に田村さんは時代劇と掛け持ちで、週二日だけ東京、あとは京都、というハードスケジュールをこなしていたようです。
そのためか、第3話の西伊豆のロケも、一泊二日という強行スケジュールでの撮影だったようです。
- 8/17〜9/28
毎週金曜日の夜8時〜、『うちの子にかぎって…』オンエア!
脚本を練る伴さんは、ホテルに缶詰、もしくはTBSの会議室で朝を迎えた事も何度となくあったそうです。
最終話の原稿を書き終えた時、すでに最終話の撮影は始まっていたそうで、時間との戦いの中で生まれた、苦心の作でもあったみたいです。
ちなみに、原稿は手書きで書かれていたそうで、ワープロを使い始めたのは翌年のパート2の時からだったそうです。
ワンクールより短い全7話での放送は、当初からの予定でした。
好評を受け、その後パート2の企画が持ち上がったようです。
--- 1985年 ---
- 3/?
続編となるパート2の、生徒役オーディション。
その数日後、子役達が緑山スタジオ近くの『こどもの国』へ。
自由に遊ぶ様子をスタッフがチェックし、キャスティング等に活かしたようです。
そしてこの時、「同じ劇団同士にならないように、男子3人・女子3人の班を作って!」との指示から、子役たち自らが作った班が、そのまま5年3組の班となったそうです。
- 4/12〜7/26
パート1終了から半年後、続編であるパート2が、同枠にてワンクールでオンエア。
タイトルは特に「2」とは冠されず、前作と同じく『うちの子にかぎって…』。
脚本の執筆に特に時間の掛かった作品は、差別問題も絡んでいた第5話で、一カ月以上掛かったそうです。赤ちゃん誕生のラストまで、産みの苦しみがあったようです。
その一方、第9話は一週間ぐらいで書き上げたそうです。
最終話のラストには、クランクアップの様子も盛り込まれ、その時の羽田のセリフ
「また一緒に仕事したいね〜田村さん、ネ」は、
翌年のスペシャル編で現実なものに…!
- 10/11〜12/20
田村正和のコメディドラマ路線・第2弾、『子供が見てるでしょ!』オンエア。
『うちの子』出演者も、多数出演していました。
- 10/12
単発ドラマ『うちの子にかぎって…番外編 避暑地のC』(中山美穂主演)オンエア。
パート2最終話の翌週に、プロ野球中継が雨で中止であれば放送の予定だったようですが、プロ野球中継は放送されたため、季節はずれの放送だったようです。
--- 1986年 ---
- 4/18
『スペシャル 金曜日の子供たちへ 水戸黄門と夢の共演 !! 京都修学旅行大騒動』オンエア。
京都ロケという、いかにもスペシャルな豪華版。
エンディングの、新学期の集合写真シーンは、シリーズ完結っぽい印象でした。
--- 1987年 ---
- 1/9〜3/27
田村正和のコメディドラマ路線・第3弾、『パパはニュースキャスター』オンエア。
最終回放送日の夕方、『うちの子』スペシャル1が再放送され、その最後の15分ほどに、5日後に放送となる、『うちの子』スペシャル2での「男女6人」が登場!番宣をしました。
- 4/1
『スペシャル2 男女6人春物語 卒業記念風雲!たけし城大攻防戦』オンエア。
この回のみ、脚本はそれまでADであった遊川和彦さんによるものでした。
企画の段階でポンポン発想が生まれたため、「じゃ、書いてもらおう」という経緯だったらしいです。
エンディングでは、音楽の他に唯一、いづみのセリフ「また、会えるかな?」に音声がありました。
あたかも続編を期待させるかのような
最期だったものの、残念ながらこの作品をもって、『うちの子』シリーズは永遠となっています。
番組スポンサー
◆パート1
西川の両親が身代金受け渡し場所へ向かう時に乗っていた赤い車や、石橋先生が運転する民宿・磯辺のワゴン車などは三菱車でした。
(「金鳥の夏!」はスポンサーではなかったようです)
◆パート2- (暮らしをみつめる)ライオン
- (未来をひらく技術と信頼)MMC 三菱自動車
- 不二家
- 日清食品
- Nikon
ライオンは、第8話の校内放送での諏訪薬局のCMで、いづみがバッチリ宣伝。
「頭痛には『バファリン』、勉強疲れには『こどもスマイル』をどうぞ」
「アレも、あります」
三菱車も、よく登場していました。高丘陣営の選挙カー
五十嵐工務店の軽トラ
井田葬儀社のワゴン車
薄井酒店の軽トラ
原島弁護士お迎えの、黒塗りの高級車
相模湖に矢野先生を迎えに来る、夏川先生のクーペ
『エリマキトカゲはどこへ行った?』の「エリマキトカゲ」も、元々は三菱自動車のCMがきっかけで流行したものでした。
不二家は、最終回の相模湖でのバーベキューで、全員分の『不二家ネクター』が置かれていました。
Nikonは、まりもの祖父がデートで首からぶら下げていたカメラが、Nikonでした。
(「流行ってるんだな〜、アディダスって」の、アディダスはスポンサーではなかったようです)
◇スペシャル
不明です。
もしかして、「出掛ける時は忘れずに」の、アメリカンエキスプレスカードだったりして?
◇スペシャル2
大王製紙・養命酒・Hatchi(高見山のふとん)・ミスタードーナッツ・安田生命・太平洋証券・永谷園・殖産住宅
積水ハウス・メナード化粧品・江崎グリコ・牛乳石鹸・大正製薬・ケンタッキーフライドチキン(宮沢りえ)・ライオン・コカコーラ
大王製紙のCMには、田村正和が出演。(エリエールティシュー・紙おむつシエステ)
グリコは、卒業アルバムで点数を付けるシーンで、テーブルには『コロン』があり、真由美が『ポッキー』をかじっていたり。
(「しあわせ〜って、何だ〜っけ、何だ〜っけ、ポン酢醤油はキッコーマン」は、スポンサーではなかったようです)
金曜夜8時
毎週金曜日・夜8時からの放送でした。
この放送枠は当時、「金」曜「八」時の字の如くだった、『3年B組金八先生』(居作の母オススメ)以来、教育的なドラマが放送される枠でした。
パート1の前クールに放送されていた番組は、『家族ゲームII』(長渕剛主演)
パート1の後番組は、『東中学3年5組』(南こうせつ主演)
パート2の前クールは、『花田春吉なんでもやります』(武田鉄矢主演)
パート2の後番組は、『もしも、学校が…!?』(三田村邦彦・片岡鶴太郎・山本コータロー)
◆金曜日の夜の、TBS系の放送スケジュール
19:00 『全国縦断!クイズあのねのね』 (パート2当時は、18:30〜『ニュースコープ』)
19:30 『野生の王国』 (パート2当時は19:20〜)
20:00 『うちの子にかぎって…』
21:00 『欽ちゃんの週刊欽曜日』
22:00 「金曜ドラマ」
パート1当時は 『金曜日の妻たちへII 男たちよ、元気かい?』
パート2当時は 『ふぞろいの林檎たちII』、『夫婦生活』
◆裏番組
| 主なテレビ番組 | 主な社会の出来事 |
1月 |
『スチュワーデス物語』(堀ちえみ)(83/10〜84/3) | ロス疑惑事件発覚 |
3月
| 『わが子はアイスキャンデー』(3/11)
| グリコ社長誘拐事件(グリコ・森永事件) |
4月
| 『くれない族の反乱』(大原麗子・田村正和)(4/6〜6/11)
『不良少女と呼ばれて』(伊藤麻衣子) |
|
7月 | 『学問ノススメ』(ビートたけし) | ロサンゼルスオリンピック (7/28〜8/12) |
8月 | 『うちの子にかぎって…』(8/17〜9/28) 『乾いて候』(田村正和)(8/23〜9/27) | |
10月 | 『スクールウォーズ』
『オレゴンから愛』 『転校少女Y』(高部知子) 『北斗の拳』 『スーパータイム』(逸見政孝・幸田シャーミン) | コアラ6匹初来日 (東京・多摩、名古屋・東山、鹿児島・平山動物園) |
11月 | | 新紙幣発行(それまでは聖徳太子・伊藤博文) 『FRIDAY』(講談社)創刊 |
12月 | 『紅白歌合戦』 (都はるみ引退・鈴木健二アナ「私に1分間時間を下さい」・生方アナ『ミソラ発言』など) 視聴率78.1%(!) チェッカーズは、『涙のリクエスト』で初出場。以後、解散する1992年まで、9回連続出場。 堀ちえみは『東京Sugar Town』、小泉今日子も『渚のはいから人魚』で、それぞれ初出場。 | |
CM | 「エリマキトカゲ」(三菱ミラージュ)、「私はこれで会社を辞めました」(禁煙パイポ)、「がんばれ、がんばれ、玄さん」(キッコーマン) |
映画 | 『お葬式』、『瀬戸内少年野球団』、『メイン・テーマ』、『晴れ、ときどき殺人』、『夏服のイヴ』、『インディ・ジョーンズ』、『ゴーストバスターズ』 |
音楽
| 『涙のリクエスト』、『ふたりの愛ランド』、『ケジメなさい』、『浪花節だよ人生は』、『星空のディスタンス』、『もしも明日が…』、『雨音はショパンの調べ』、『モニカ』、『ミス・ブランニュー・デイ』、『NEVER』、『泣かないで』 |
流行語 | 「ザンゲ」、「くれない族」、「す・ ご・ い・ で・ す・ ね〜」、「イッキ・イッキ」、「教官!」、「なんですかア」 |
その他 | ベストセラー『金塊巻』、『見栄講座』 VTR普及率:18.7% |
| 主なテレビ番組 | 主な社会の出来事 |
1月 | 『毎度おさわがせします』(中山美穂) 『少女に何が起こったか』(小泉今日子) 『男の家庭科』(田村正和) | 山口組竹中組長射殺事件 |
4月
| 『うちの子にかぎって…』
(4/12〜7/26) 『夕やけニャンニャン』(おニャン子クラブ) 『スケバン刑事』(斎藤由貴) 『スタア誕生』(堀ちえみ) 『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』 『澪つくし』 | NTT、日本たばこ産業発足 つくば科学万博(3/17〜9/16) |
6月 | | 松田聖子・神田正輝結婚 豊田商事・永野会長刺殺事件 |
7月 | 『たけしくん、ハイ!』 | |
8月 | 『金曜日の妻たちへIII・恋におちて』 『もしも、学校が…!?』 『ママ、大変ダァ』 | 日航ジャンボ機墜落事故 |
10月 | 『子供が見てるでしょ!』(田村正和)(10/11〜12/20) 『うちの子にかぎって…番外編 避暑地のC』(中山美穂)(10/12)
『ポニーテールは振り向かない』(伊藤かずえ)
『ニュースステーション』(久米宏・小宮悦子・小林一喜) | 阪神タイガース21年ぶり優勝
|
11月 | | ハレー彗星大接近 |
12月 | 『毎度おさわがせします2』(85/12〜86/3) | |
CM | 「カエルコール」(NTT)、「タンスにゴン」 |
映画 | 『CHECKERS in TAN TAN たぬき』、『ペンギンズ・メモリー 幸福物語』、『銀河鉄道の夜』、『ビルマの竪琴』、『クララ白書 少女隊PHOON』、『台風クラブ』、『ランボー/怒りの脱出』、『ネバーエンディング・ストーリー』 |
音楽 | 『あの娘とスキャンダル』、『セーラー服を脱がさないで』、『恋におちて』、『天使のウインク』、『Romanticが止まらない』、『雨の西麻布』、『ミ・アモーレ』、『涙のtake a chance』、『あなたを・もっと・知りたくて』、『俺ら東京さ行ぐだ』 |
流行語 | 「金妻」、「不倫」、「どうもぉ〜」、「てか〜?」、「知っとるけ」、「知りまっしぇ〜ん」、「新人類」、「激辛」、「やらせ」 |
その他 | ファミコン『スーパーマリオブラザーズ』 VTR普及率:27.8% |