石橋 徹
(田村正和)

武蔵野市立吉祥寺本町小学校教諭。5年3組担任。
1947年(昭和22年)4月26日生まれ。37歳。牡牛座。
パート2では、天体観測部顧問。

熱血教師というタイプではなく、かといってキザな先生でもない、ごく庶民的な先生。
生徒を頭ごなしにガミガミ叱る事もなく、ましてや体罰などは滅多にない。夏休みの宿題は「思いっきり遊んで来い!」の一言、学級会でも生徒の意見を尊重するなど、生徒思いの優しさにも溢れている。
しかしその結果、予想外の事態が巻き起こるなど、生徒たちに振り回される事は日常茶飯。

学校近くのアパート「吉祥寺けやき荘」に住む。
奥さん・涼子は、教職一年目の時の教え子で、15歳年下。その割には、奥さんにはなかなか頭が上がらない感じ。
パート1の最終話で、長男・浩介が誕生。
家では子煩悩なパパ。父親となってからは、タバコを吸う事も減った感じ。
夏休みには、「夏休み最高〜、これだから先生辞められないんだよな」と寝坊するなど、結構お茶目な一面も。

10年前までは、加納亜希子という恋人と付き合っていたらしい。
実家は京都。父はすでに亡く、64歳になる母親と兄・亘(わたる)一家が暮らしている。母親は、荒牧先生そっくり。


田村正和 (たむら・まさかず)
1943年(昭和18年)8月1日生まれ。京都市出身。
番組開始当時41歳。身長174cm。体重50kg。

このドラマが、初めてのコメディードラマ出演。
初の教師役でもあり、初の夜8時台の番組出演でもありました。
しかも子供相手という事で最初は戸惑い気味だったらしいものの、子役を肩車したり、楽屋に呼んだりなど、コミュニケーションを大切にしたとの事です。
そんな苦労も甲斐あって番組の人気を得ただけでなく、
それまでの二枚目俳優からのイメージを一新させ、役者としての新境地を拓く事となった、記念すべき作品であると思われます。

2007年6月16日、『SmaSTATION!!』(テレ朝系)に出演。
このドラマに出演した経緯など、貴重なゲストトークを披露されました。
(パート1第1話の学級会シーンなども映りました)

それによると、『
わが子はアイスキャンデー』を見て面白いドラマだと思っていた所へ、八木康夫プロデューサーが、
「こういう物を創ろうとしているんですけど、どうですか?」と訪れ、
「それ見たよ。すごい面白かったよ」という事で、
「やろうやろう」という事になったそうです。
「だから全然抵抗も無く、自分でやりたいと思ってやったよ」との事で、何とも意外、そして嬉しいエピソードでした。
(番組公式サイトに、詳細があります)


さらに当時は、12年ぶりの田村三兄弟共演で話題を呼んだ、時代劇ドラマ『乾いて候』(フジ系・8/23〜9/27・木曜22時・全6回)との、掛け持ち出演でした。

それまでは、“田村正和は掛け持ちはしない”
との定説があったようすが、
(引用)
「前から子供相手の役…『クレイマークレイマー』のような役をやりたいと思っていたんです。
『くれない族の反乱』の時の子供も可愛かったし…
やったことの無い役だし、掛け持ちでシンドイけどやってみようと。
従来通りのドラマだったら、やらなかったですけどね」
(「週刊テレビ番組」誌・84年8月)

との事で、企画さえ良ければ、掛け持ちもする考えで、
稀な掛け持ち出演だったようです。
実際、週二日だけ東京、あとは京都、
というハードスケジュールでの撮影だったようです。






第1話。教室で子供たちに囲まれ、ジャージ姿の先生役は、
それまでの二枚目役では見られなかった、インパクトある役柄でした。
(当時発行の、シナリオ本に載っていたスチール写真です)



半年後のパート2の出演にあたっては、
「子供って本当にうるさい」 「ノイズ(騒音)に弱いので、二度も出る気無かった」。
それでも、「年賀状もらったりすると懐かしくて、半年経ったらまたやる気に」。
「ラブストーリーが多かったので、よきパパを演じてみたいと思っていたらこの話が。
滅多に無い役なので、子供は苦手ながら大奮闘と決めました」
(「TV LIFE」誌・85年4月)
との事で、赤ちゃんの父親役も、初だったのかもしれません(?)






パート2の出演者の顔合わせ?で、
小坂先生役の所ジョージさんと。
(当時のTBS広報誌「ラブリー6」より)



2004年に、「主演ドラマのベスト3は?」とのインタビューには、
まず『過ぎし日のセレナーデ』を挙げ、さらに、
 (引用)
「あと『ニューヨーク恋物語』も好きですね。それからあとは何だろう。
『古畑任三郎』はしんどい思いはした分、愛着があります。
それから、『うちの子にかぎって…』と『パパはニュースキャスター』。
そんなところかなあ。
『パパはニュースキャスター』は、定年になるまでにもう一度やりたいですね」
と、語られているのは、大変嬉しいところです(^^)
(月刊「TV navi」誌・2004年11月)


最近10年ほどの、出演歴です。
『うちの子…』以降は、全て主役での出演となっていて、さすがです。
2004年
1月 『古畑任三郎スペシャル』
3月 『ニューヨーク恋物語』スペシャル(16年ぶりに復活)
10月〜12月 『夫婦。』(TBS日曜劇場)
11月 『さよなら、小津先生』スペシャル
2005年
7月 舞台 『新・乾いて候』
2006年
1月 『古畑任三郎
ファイナル』(正月に三夜連続)
7月〜9月 『誰よりもママを愛す』(TBS日曜劇場) 
2007年
6月 映画 『ラストラブ』(14年ぶりの映画出演)
2008年
1月  『鹿鳴館』(久々のテレ朝出演)
12月 『忠臣蔵 音無しの剣』(テレ朝系)
テレビ時代劇は久々で、あの京都・太秦撮影所に、10年ぶりに入ったそうです。
2009年
1月 『そうか、もう君はいないのか
』(TBS系)
モンテカルロ・テレビ祭(世界三大テレビコンテストのひとつ)において、最優秀男優賞を受賞。
ちなみに、西尾まりさんとの共演シーンがわずかながらにあって、15年ぶりの共演だったのでは?
1月 『疑惑』(テレ朝系)
2010年
2月  『樅の木は残った』(テレ朝系)
11月 『球形の荒野』(フジ系) 2夜連続
    『忠臣蔵 〜その男、大石内蔵助』(テレ朝系)
2011年
1〜3月 『告発 〜国選弁護人』(テレ朝系)
第3話では、鈴木美恵さんとの16年ぶり!?の共演シーンがありました。
2012年
12月 『十万分の一の偶然』(テレ朝系)
2013年
2月 『上意討ち 〜拝領妻始末』(テレ朝系)
2014年
1月 『三億円事件』(テレ朝系)
7月 『おやじの背中(圭さんと瞳子さん)』(TBS系)
2015年
2月 『復讐法廷』(テレ朝系)
2016年
3月 『地方紙を買う女 〜作家・杉本隆治の推理』(テレ朝系)
2018年
2月 『眠狂四郎 The Final』(フジ系)


時代劇の大スターだった「阪妻」こと、阪東妻三郎(1901〜1953)の三男として誕生。9歳の時に阪妻が亡くなっています。
ちなみに、修学旅行のロケ地『東映太秦映画村』は、元はこの「阪妻」が創設した撮影所でした。
さらに、久我とつばさがお茶のデートをしていた『二尊院』には、「阪妻」の墓所があります。
小学5年生で、京都の嵯峨小学校から東京・世田谷の祖師谷小学校へ転校。(「転校生はスーパーヒーロー!?」)
成城中・高から成城大学へ進み、在学中の1961年に松竹映画『永遠の人』でデビュー。
すでに結婚された一人娘のお子さんが、ほぼ5年3組の生徒の年齢と同じ位らしいです。

長兄・田村高廣さん(1928〜2006)、弟・田村 亮さん(1946年生まれ)。
唯一俳優でない次兄・田村俊磨さんによるサイト『田村四兄弟』。
2009年、甥にあたる田村幸士さん(田村亮さんの一人息子)が、31歳で俳優デビューしました。
異母兄弟として俳優・水上保広さん(1947年生まれ)がいるらしいです。


石橋涼子
(森下愛子)

石橋先生の奥さん。夫より15歳年下の、22歳。
美人だが、「浮気したら即離婚ですからね!」などと気が強い性格で、15歳も年下の割りには、かかあ天下ともいえるほど、夫より発言力がある。
家計に関しても夫は口出しできないほどで、自分はブランド物のバッグを買う一方、夫の服は安物を買ったりする。
そのため家計が赤字になると、塾のテストの採点アルバイトで小遣い稼ぎしたりも。
夫を送り出す時はたいてい、「しっかり稼いでねー!」と送り出す。
妊娠中でもジョギングをしたりエアロビに通うなど、活動的。

中野区坂上小在学中、教職一年目の石橋先生の教え子だった。
石橋先生の説明によると、関係を結んだのは高校生になってから、とのこと。
いまだに夫を、「先生(せんせぇ〜)」と呼んでいる。
スペシャル2では、当時の同級生・和田カオル(石野真子)との再会も。
京都の修学旅行での、お洒落ないでたちからすると、元アンノン族?

実家は、西伊豆・土肥の民宿「磯辺」。
母親の名前からすると、旧姓は「広田」だったらしい。


森下愛子 (もりした・あいこ)
1958年(昭和33年)4月8日生まれ。当時26歳。

パート1では、終始お腹の大きな妊婦役。
お腹のへこんだパート2では、すっかりママ役ながら、時折おしゃれをして登場するシーンも。
田村正和さんとは、3年ぶり、3度目の共演だったようです。

パート1当時は、昭和初期の遊郭を舞台にしたドラマ『陽暉楼』(TBS系・8/28〜9/25・火曜22時・全5回)との、掛け持ち出演でした。

吉祥寺出身。麹町学園女子高校3年の時、スカウトされデビュー。
身長160cm。
放送当時は、ワイドショーなどで吉田拓郎さんとの熱愛報道があった頃で、86年12月に結婚。
結婚後間もなく、『うちの子…スペシャル2』に出演でした。

ちなみにパート1第1話で、涼子がワイドショー(『3時にあいましょう』)を見るシーンがありましたが、この放送当日のワイドショーでは、各局こぞって吉田拓郎さん恋愛関連の話題に集中していて、皮肉な偶然でした。
88年に体調を崩し、約10年ほど女優活動を休業されていましたが、1999年、TBSドラマ『美しい人』(田村正和主演)の出演から、活動を再開されました。


石橋浩介
(大田健一)

石橋家の長男。出産予定日ピッタリの、9月28日生まれ。
出産には、授業中の石橋先生も駆け付け、立ち会い出産。
5年3組の生徒達が命名?
スペシャル2では一人で歩け、言葉も喋れるようにまで成長。


大田健一 (おおた・けんいち)
1984年生まれ。撮影当初は6ヶ月の赤ちゃんだったものの、大人のエキストラの3倍のギャラで、しかも送迎付きだったらしいです。
現在は30歳を越えていると思われますが、芸能活動は行っていないようです。


小坂忠太郎
(所ジョージ)

5年2組担任。若い割には結構生真面目で、頭の固い先生。
でも年と共に奔放さが増して、より結婚に情熱を傾けている感じも?

古い一間のアパートに独り暮らしで、30を越えた独身。
風呂は無く、洗濯機も持っていないため、近所の銭湯やコインランドリーを利用している。もちろんクーラーも無し。
「臭い、狭い、暑い」の貧しい暮らしぶりなものの、結婚願望は人一倍強く、200万ほどの結婚資金を貯めている(冷蔵庫貯金)。

「趣味は切手収集」と結婚紹介所では話していたものの、いつも雑然としている部屋には、それらしき気配は全く無い。
家ではだらしなくても、教壇に立つ時の服装については、「やはり背広でないと!」と、頑固ともいえるこだわりを持っている。

隣のクラスの、3組の生徒から災難を被る事は、もはや日常茶飯。
そのうえ恋人にふられたり、お見合いに失敗など、失恋経験も豊富。
何かあるたびに、片方の眉をヒクヒクと動かす癖がある。
口癖は、「いかんなぁ〜」。

矢野先生とのテニスの時には、名札付きの卓球ユニホームでプレイ。その名札によると「栃木高校」の卓球部出身?
みずがめ座・血液型O型。共に矢野先生との相性占いは、「最悪」。

小学校時代に、転校を経験。新しいクラスに馴染めず自閉症となってしまうが、それを担任教師が救ってくれた。それがきっかけで教職に就く決意をしたらしい。
柏原芳恵は、教職一年目の、吉祥寺本町小学校での教え子。
「大学を卒業したばっかりで、とってもカッコイイ先生でした。ニヒルな感じで…、でもすごく優しくて」
との事だったらしいものの、久々の再会では、
「随分お変わりになりましたね?」と言われるほど、変わったらしい。


所ジョージ (ところ・じょーじ)
1955年(昭和30年)1月26日生まれ。当時29歳。
みずがめ座。血液型O型。身長172cm。

このドラマでは無くてはならない、名脇役!
パート1・パート2・スペシャル1・2では、それぞれメガネが変わっていました。
パート2第2話で、山本晋也の映る深夜番組を見て、俗悪番組として日テレに抗議に行くシーンがありましたが、実は当時、自身が司会をしている番組(『TV海賊チャンネル』・日テレ系)という、強烈な皮肉でした。

TBS系では、『スターオーディション』の司会でも出演していました。
パート2第2話で、居作父が押し掛けるTBSにポスターが貼ってあり、入ったスタジオがその番組のセットでした。
そして当時、柏原芳恵がゲストだった週もあり、パート2第9話と同じ衣装で、同じ曲を歌いました。

なかなか結婚できない独身役でしたが、実際は当時既婚で、一歳の女の子のパパでした。
『うちの子…』以後も、『子供が見てるでしょ!』を始めとする、田村正和主演のコメディードラマには必ずと言っていいほど登場、独特のキャラクターを活かした名脇役ぶりを発揮していました。
現在の活躍ぶりは、誰もが知るトコロです。







パート2の出演者・スタッフ顔合わせ?で、
子役達の喚声に、思わず耳を塞ぐ所さん。
田村さんも、かなりうるさかったはず?
(当時のTBS広報誌「ラブリー6」より)



益田吾郎
校長
(林 昭夫)

校内放送では、『今日のひとこと』に登場。
しかしそれが映る教室では、話を無視されたり、言いたい放題な事を言われていたりがほとんど(笑)

暇な時には、ちゃっかり校長室でゲートボールの練習も。ただし、あまり上手くはない様子。
料理の趣味もあるらしく、クジラステーキの調理を校内放送で実演したりも。54歳。


林 昭夫 (はやし・あきお)
1930年(昭和5年)8月24日生まれ。当時54歳。
小柄な体型やちょっと甲高い声など、結構なハマリ役。
スペシャル1・2にも登場しました。


池田先生
(宮本信子)

5年学年主任(パート1)。ベテラン女教師。
少々キツイ性格で、特に中野先生に対しては何かと小言が多い。
暑がりなのか、よくうちわを仰いだり、汗をぬぐったりする。そのため、タオルを腰に常備しているほど。

慰安旅行の幹事をやんわり断ったり、学級新聞の写真撮影を断りつつも、実は写りのいい写真を用意していたり、父兄参観の日には化粧が濃かったりなど、結構抜け目が無く、ちゃっかりとした一面も。
夫も教職で、他校の校長らしい。


宮本信子 (みやもと・のぶこ)
1945年(昭和20年)3月27日生まれ。当時39歳。

パート1に出演。
小学校の女教師にいかにも実在しそうな、隙のない演技はさすが。
パート1のみの出演だったのが、惜しかったほどです。

このドラマ誕生のきっかけとなったドラマ、『わが子はアイスキャンデー』では、主人公(「うちの子」での市川)の母親役で出演だったようです。
84年11月公開の映画、『お葬式』では主演でした。
(ちなみに母役は菅井きんさん・父役は奥村公延さん。パート2の「骨まで愛して」の回では、まりもの祖父がデートで見る映画でした)


中野先生
(中村れい子)

教職一年目の、新任教師。
池田先生からたびたび、「もう女子大生じゃないんですから…」などと小言を受ける。
小坂先生に想いを寄せ、機会あるたびにそれとなく伝えるものの、鈍感な小坂先生にはいつも伝わらない。

パート2では、第12話に登場。お見合い結婚をして「遠藤」姓になっていたものの、小坂先生への想いを捨て切れず、離婚を覚悟の上で再会。でも小坂先生の鈍感ぶりは相変わらず。


中村れい子 (なかむら・れいこ)
1960年(昭和35年)1月3日生まれ。当時24歳。

第2話で、週刊宝石の「あなたのオッパイ、見せて下さい」のカメラマンに声を掛けられると、「あたし女子大生じゃないんです」と、きっぱり断るセリフがあったものの、実際は女子大生(日大芸術学部4年生)でした。
大学在学中の78年、映画『博多っ子純情』のオーディションに合格し、芸能界デビュー。旧芸名は立花美英・立花れい子。趣味はピアノ・テニス。身長160cm。
『子供が見てるでしょ!』では、幼稚園の先生役で出演でした。
96年以降の芸能活動は不明なので、現在は引退されたようです。

夏川先生
(市山貴章)
鉄棒の大車輪ができる。“体力だけは自信があります”
パート2では最終話に、5年生の担任役として突然登場、矢野先生とカップルに。
市山貴章 (いちやま・きしょう)
当時33歳。当時の芸名「市山 登」から改名されています。
神保先生
(木瓜みらい)
ピアノを弾く姿は、“自己とうすいのきょくち!”
木瓜みらい (ぼけ・みらい)
当時32歳。パート2第8話では、海老沢和美の母役(海老寿司)として出演でした。スペシャルでは、京都の土産物屋主人と「恋におちて」な設定だったものの、出演はありませんでした。

荒牧先生
(菅井きん)

5年学年主任(パート2)。
教職歴33年、51歳の熟練女教師。

年寄り扱いされると機嫌を損ねるが、ゲートボールが得意。三味線の趣味も。
家での健康法はルームランナーやぶら下がり健康器など。
夫は登場しなかったものの、まりもが確認した所、健在らしい事が明らかに。
嫁との関係に悩み、石橋先生に相談したりする。
関口宏のファンであるらしい。


菅井きん (すがい・きん)
1926年(大正15年)2月28日生まれ。当時59歳。

パート2に出演。
職員室のシーンで見せる、絶妙な演技は見事なもの。
「老けて見えるかもしれませんけど、まだ50代なんです」と、拗ねるシーンもありましたが、実際もまだ50代でした。
第6話では石橋先生の母親役として、二役で出演。嫌味たっぷりな姑役も、貫禄の演技でした。

当時は、『必殺仕事人5』(85/1/11〜7/26・金曜22時・テレ朝系)との掛け持ち出演で、『うちの子…』の一時間後には、全く異なる役でテレビに登場していました。
スペシャル2の謝恩会シーンでは、この『必殺仕事人』でのお決まりのセリフ、「ムコ殿」が登場しました。

前クールの『男の家庭科』(フジ系)でも、田村正和さんと共演だったようです。
前年には映画『お葬式』で、宮本信子さんと親子役で共演していました。
劇中と同じく、三味線が趣味らしいです。


矢野先生
(仁科幸子)

教職一年目、22歳の新任教師(パート2)。
日本舞踊、華道、茶道など稽古に多く通う傍ら、テニスもする。

小坂先生が常日頃から想いを寄せているものの、結構鈍感(?)な面もあり、全く眼中には無い様子。
さそり座・血液型AB型。共に小坂先生との相性占いは、「最悪」。
結局、最終話で夏川先生とカップルに。


仁科幸子 (にしな・ゆきこ)
1963年(昭和38)9月25日生まれ。てんびん座。当時21歳。

パート2に出演。出演の前年、学習院女子短大を卒業。
その後一年間、俳優の勉強をし、このドラマでデビュー。
デビュー作らしく、初々しい演技を披露されました。
日本舞踊を踊るシーンもあったものの、「ニャンニャンしましょ」などと過激なセリフも(笑)

東京都出身。歌舞伎俳優・岩井半四郎の三女。
長姉・岩井友見さん、次姉・仁科亜季子さん(明子から改名)。
身長161cm。
『子供が見てるでしょ!』では幼稚園の先生役で出演でした。
のちに、ワイドショー『こんにちは2時』(テレ朝系)のキャスターを務め、その時のディレクターの方と91年にご結婚されたようです。


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